1985年8月25日 大阪球場
ほんの意識もなく瞬きをして、目の乾燥を防ぐ、そんな日常の動作をする瞬間のように振り返ることすらできる頃、球場の選手控え室で関係者のみのライブ成功を祝う小さな打ち上げでは尾崎を泣かせることとなった。
「いったいどれだけ歌えばミュージシャンは幸せになれるのかって考えてます」
そう言って涙を拭った尾崎は右手に持っていた缶ビールを頭にかけた。
客観的にこの時のことを考えて考察していくと19歳とは思えないと評価され言われ続けていたこの時期の尾崎にとってはそれ以上の対応と行動を求められれば、その期待に応えることは難しいであろう。
この一つの頭にビールをかけておどけた姿を見せたことこそ、尾崎の真の十代としての姿であったであろうし、ある人は尾崎を十代のカリスマであるとか、和製ジェームス・ディーンと生前も死後も書かれたり、問われたりすることがあったが彼と関わった同時代の人々はどう思ったであろう?
繊細で少し腕白な無垢な少年であり、青年であったに過ぎないとしか筆者はあまり思いたくない。
余談が過ぎた、この時の尾崎にもう少し触れなければいけない、少し経って控え室から出た尾崎はメンバーと共に、球場の特設ステージをや照明の機材を解体して撤収作業に取り掛かっている、スタッフたちを見かける。
客席を見つめつつ、先ほどまで自分がメンバーが立って、歌い叫んだステージを寂しげな瞳で見つめた彼は芝生を横切りながら2度振り返って、階段を降りる時、ツアー責任者の福田氏が大急ぎで駆け寄る。
「みんな、疲れているとこわるいんだが、すぐ荷物をまとめてくれ。脱出するぞ」
とにかく着替えもそこそこに、車へ。
今までになかったことが尾崎にも起きている。
それはまた次の項で書くことにする。
この項の題名を何にしようか迷う時間もなかったが、この名前が一つのこの夜に火をつけた尾崎には似合っているかもしれないので「脱出」とつけた。