matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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頑張れ!尾崎豊

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頑張れ!尾崎豊、まだまだ君の世界を閉じるのは早い。
そんなタイトルのGB寄稿文を載せたのは初期と言ってもまだデビューして1年と数ヶ月ではあるが、精力的に尾崎を取材している、ライター平山雄一氏だ。

筆者は狡猾なことにこの尾崎の話を書いていくにあたり、評価ということをあまり怠っているのではないかと思われがちかもしれないが、なにぶん評価するにもなにも、見たこともなければ、聞いたことしかない、映像の世界でしか知らない氏をどうもあれこう、書く事をこの項ではやってこなかった。
大きな声では言えないが永世中立の立場で書かざるを得ない、しかしあくまで中立ならばイイ事、ヨイショしたことを書いていくだけでもいかない、批評者のことも書かなければならない。

この項では大阪球場のことを事細かく書いてきて、つい先日大阪球場のこと書き終えることができた。
結果的に言えば当時の尾崎の人気そして1人の19歳の男が2万人の群衆を引っ張った結果であったと解釈しているが、ここにこの平山氏が大阪球場のことを酷評と言ってもいいぐらいのことを書いている、筆者はその話を読んでいて当初予定にはなかったのだが、このことをここにも書いて残しておきたいと思い、ここまで筆を進めてきた。

私の意見も加えるかもしれないが、平山氏のが寄せた尾崎論をここに書いていきたい。

大阪球場で見た尾崎豊のコンサートは音楽としては非常に貧しいものだった。
 チューニングが悪い、バンドのアレンジとアンサブルが不適切。そして何より尾崎豊の歌が荒れ ていた、特定の言葉を強調しようとするあまり、メロディーの良さが殺されかえって言葉が押し 付けがましく響いてしまい、尾崎の言葉が本来もっていた言葉のやさしさや言葉の膨らみが消え てしまっていた、2万人近くの人が尾崎を指示し、コンサートとしては暑い盛り上がりがあった こととは裏腹にそれがとても残念だった。
  中略
 尾崎の歌は硬くなっていく、彼がこれまで言われてきた、メッセージ性という型にはまってく、
 まるで客が抱いている‘ヒーロー‘ という虚像に自分からはまり込んでいくように、その硬さ は言葉に頼り過ぎている。
 

とまだまだ書きたいのだが一つ区切ると平山氏は長く続いてきたツアーの最終日であるこの大阪球場を客観的にはひとつのステージの一こまとして見ていることが当然であるが、特別と考えることによって虚像に支配された支店でこのステージを見ているようにも感じることが出来るが、長くなり過ぎるのも筆者の記事の問題であるため、平山氏の最後の紙面での言葉を載せておく。

 ‘尾崎の歌がもっと普遍的な説得力をもてたら、と思う。評判やイメージに縛られら言葉のみに  頼るのではなく、音楽として、歌として、もっと素晴らしいものを追い求めて欲しい。
  まだまだ自分の世界を閉じるのは早いと思う。
 
 メロディーやビートやサウンドや、歌い方がことばを豊にし、順南西のあるもっとイメージを助 けてくれる力を、もっともっと信頼してほしいと思った。ポリシーがおんがくに反映しないお説 教シンガーの越えることができなかった壁を越えるために頑張れ!尾崎豊

と平山氏はエールをおくっている。
尾崎は多忙だ、新アルバムのレコーディングにはいろうとしているし、バンドの問題もある、残された十代の時間は最も多忙を極めるであろう。

そんな尾崎に投げかけた平山氏の声は尾崎に届いたのかどうかは定かではないが、期待に応える、声に応えるような姿勢を尾崎はこれから仕事でしていく。

そんな毎日と日々をこれから書いていきたい。