1985年 11月29日 室蘭文化センター
ライブ後に楽屋で尾崎を待っていたのはメンバーたちからの祝いの宴であった。
メンバーたちも尾崎を驚かせようと待っており、それにひっかかった尾崎も尾崎であったがその心境は表情などを見る限り、嬉しそうに見える。
このあとに尾崎は取材にこたえており、そのことに関してはまた触れていきたい。
筆者はまだ20歳ではない、しかしこの時の尾崎の事跡や仕事ぶりはめざましいものがあり。
とうてい19歳~20歳の間に行うような仕事の量でもないと今日の観点から考えてしまえば思うことが多い、しかし彼は自分がその「十代」という同じ年齢層の代表者のように選ばれてしまってから歌い続けて、走り続けてきたというようなことは紛れもない事実であり。
時には喜びあい、汗を流して涙を流してここまできた85年ももうすぐ終わりが近づいていた。
余談をはさみたい、話は前後するがこの20歳のライブを祝いたいのはこの室蘭に駆けつけていた観客達であった。
ライブが始まる前に、観客たちの間であるビラが配られていた。
‘尾崎さんがステージに現れたらみんなで、ハッピーバースデイを歌いませんか‘
というものであった。
残念ながらこれは行う前にスタッフに察知されてしまい、スタッフから
‘コンサート進行の妨げになるのでアンコールでやってください‘
というアナウンスがされた。
スタッフがこう淡々とマイクで告げた声がチラシの彼女にとっては、とても冷たい言葉にとれたんじゃないだろうかと思うかもしれないが1曲目が「卒業」から始まるステージのこと、尾崎のそのオープニングに張りつめた姿を思うと、やはりアンコールあたりにやるのが望ましいとスタッフたちは考えたのであろう。
ファンクラブを取り仕切っていた、浜中氏は
「もっと早く相談してくれれば、一緒に考えたのに、かわいそう」
と呟いたそうであるが、これもちょっとしたコミュニケーション不足であったかもしれない。