matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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福岡国際センター アンコール2

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1986年 1月1日 福岡国際センター

最後に挨拶をすると観客達からは賞賛そして、「ありがとうー!」という声が届く中

「頼む!もう1曲歌ってくれ!!」
という声の中ローディーが12弦ギターを尾崎の元に持って駆け寄ってくる。
尾崎はピアニストの樫原伸彦氏に指示を出して、ギターをチェックする。

「最後の1曲」

そう呟いてもう1度ステージに立つと、演奏される最後の曲

20曲目「僕が僕であるために

序盤からピアノがハッキングに加わるが、今までにあまりなかったシンプルな形として演奏し歌っている尾崎の姿がある。
歌い出すと同時にまだ歌う尾崎への感謝の表れか、観客たちは拍手で迎える。

途中、尾崎は声が出なくなり、その声には疲れと少しの哀しみもこめられているようにも思う。
尾崎は涙ながら確信に満ちた声で決意したように歌う。

僕が僕であるために、勝ち続けなきゃならない、正しいものはなんなのかそれがこの胸にわかるまで」

「僕は街にのまれて、少し心許しながら、この冷たい街の風に歌い続けてる」

哀しげなピアノハッキングに尾崎の口笛が加わると、ギターとピアノは息を合わせて曲を終える。

「どうもありがとう」

そう短く尾崎は礼を言うと両手で手を振り感謝を表す。
目の前の7000人近い観客たちの拍手と尾崎をよぶ声は途絶えることがなかった。

この夜で尾崎のツアーは終った。

さきほどまで尾崎がんばれ!と応援していた観客たちは、尾崎に「ありがとう!」と言って
尾崎も観客も双方、消耗しあった3時間を終えた。

筆者はこの尾崎が歌った「僕が僕であるために」はまさに彼の中では決まっていたであろう、活動休止についての答えとそして今日ここに集まった人々への別れと決意を現した意味があったのではないかとも思う。
そして以前記事で書いた、まさに最後のアンコールという形で尾崎が行いたかったアンコールとして行えた最初で最後の歌ではなかったのではないかと思う。