matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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2012年

2012年という今年はなんだかんだで尾崎一色の1年だったようにも感じる。
1月頃からもまだ地道に書いてきた軌跡というシリーズも長いもので1年以上になるがまた続きはあるので、あしからず。

2月から3月にかけては1年最後の実習ということで20日間の実習があったが、あの期間ではまったくまたこの仕事に少しの興味をもったり、サボり癖を覚えたりした期間であったな。

4月から2年になったんだという実感もあまりないままに時間だけは簡単に過ぎていった。

5月俺は長い付き合いのある友人を訪ねに神奈川県小田原へとむかった。
東名高速道路が開通されたばかりであったが、山を望むことができる新東名と海岸沿いに作られた旧東名高速の風景を見ながら東に進んだ夏の始め頃であったように思う。

6月には最後の実習先の面子と場所が発表されて距離以外の問題ではなにもなく、7月の始めから灼熱の太陽を浴びながら、歩く日々が続いた。

私も無事また20日間の実習を終えることができた、実習終了後の数日後に実習終了の挨拶へと向かった際には多くの思いをはせながら毎日歩いていた道を少し変な思い出歩いていたようにも思い出される。

8月、ようやく短い夏休みにはいった、毎度計画された家族旅行では近場の三重へと行った。
伊勢神宮へと数年ぶりに行くことになったが、少し退屈でもあったようにも思う。

この頃暑さでか、俺の気分は高まることもあったし、何より日々書いていた尾崎の話がおもしろくなっていたこともあったし、時期は絶頂期である大阪球場へと向かっていた頃であった。

何よりあの時の尾崎が今の俺と一緒の19歳であったことをよく重ねてみることは嫌であったが、どうしても重ねて見てしまいがちなことが多かったかもしれない。

そんな彼にとっても決戦の日であった、8月25日という日、尾崎はMCでも言っている通り
「こんな灼熱の太陽の下働くのは初めてだ」

というようなことをリハーサルで言っていた、幸か不幸か俺もその8月25日最後の最終実習施設での夏祭りを手伝うために雲一つない太陽の下せっせと働いていた。
偶然であったはずであるが、感想としてはきつかった記憶しかない。

9月になると、短期間2日だけの実習を終えるとすぐに9月は過ぎ去って10月さ
そこからは卒業試験の対策や卒論作成とかいうものを学校が始めたが、これが教員の計画性のなさで難題となった。当然しわ寄せは学生にくるもので、何度裏切りにあったことかと怒りを露にしたものであったがその怒りは過ぎ行くままに期間は11月を越え12月。

年末がどうこうと言っているうちに大晦日という具合である。
早いものである。

今年お世話になった人は数多くいるが、来年もどうぞよろしくお願いします。
こんなアホブログも来年で5年になるんだよw

まったく早いもんだね。