matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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早いもん

9月も半分以上が過ぎて夏は終わり立秋と言われ一ヶ月が過ぎた頃ようやく涼しくなり始めるたと思えば、

強力な台風が九州を襲って本州は大雨と強風で苦しめられた。

1年前の僕は今頃初めての実習の途上にあって慣れない奴ら相手に四苦八苦して愚痴ばっかり言ってた

去年も大きくて強い台風が名古屋を襲ってその時避難勧告が出た地域で僕は実習をしていて、氾濫しそうな庄内川を見つめながら家路についた。

別の世界では大雪のなかを仲間6人にで走り抜けていたのもいい思い出がだがそれは思い出としてそして映像として記録されている。

尾崎という男から僕は暫くあの時期離れていたきっかけもなにもない、ただもう語り尽くしてしまったんじゃないだろうかと勝手に終止符をうっていた

そんな実習中最後の日の帰りに僕は尾崎の十七歳の地図を久しぶりに聞いた

思い立って帰りに夕陽が見える歩道橋へ行き、少しこれまでの日々を思い浮かべながら僕はあの時もう18歳だったけど
気持ちはまだ17歳だったのか気持ちは高ぶって疲れていたけどその夜尾崎が好きだったステーキを食いにいったと思う
それから僕は久しぶりにノートに尾崎のことを書いた気持ちが高ぶるとなにを仕出かすかわからないのと実習が終わった解放感もあったんじゃないかって思う。

それをこのブログの記事に最初に書くまではそれからさらに数十日を要して、10月の終わり頃やっと記事にできた。


それからいつしか僕は毎日のように彼のことを書くようになった、再び彼に興味と熱が出てきたことは自分でも喜ばしいことであったが、同時にあまり自分はやらないことであるけど

18歳になった自分を尾崎を重ねて見たんじゃないかって思う
大それた気持ちもないし、僕はどこかの伝道師のように伝える義務があるとか書いてる連中とは違うから勘違いしないでくれ、好きだから書くのだけど、自分の意見として今の時期の気持ちを残しておきたいんだ。

広告の裏にでも書いときゃいい内容なんだけど俺には都合のいいことに適当ながら更新してきたブログというものがあったのでそこに書いていくことにした

タイトルにも彼の名前がはいっているし好都合だった

そんな時期からまたもう1年経った、
19歳になった俺は今苦心して曲作りに励んでいる尾崎のことを書いている。

生きてりゃ親くらい歳が離れてるんだけど頑張れ尾崎豊と事の顛末がわかってるのに応援してやりたくなるこのおかしな気持ちが今は安定している証拠なんじゃないかと思う