海外へ研修へ行くことが具体化し始めたが、心配であったのは尾崎の両親であり家族であったと思うのは明らかなことである。
まだ20歳になったばかりの青年を1人海外へ音楽の勉強、研修という名目で送り出すのである。
事務所はすべての監督責任を負うわけでもある。
そのリスクも高かったであろうがなにより尾崎を1人で誰も知らない異国の地へと追いやるようなこの行為は追放や島流しにも等しいようにも筆者は考えたことがあった。
当の尾崎本人は海外へ行くことに意欲的であったかどうかにしても、活動を休止したことを考えれば新しいものをさがすために、決めたことであったかもしれない。