1986年 7月中旬
片付けが終わってから片隅にある創作ノートがあり、須藤氏はそのノートを見たというがそのどのノートにも書き出しで終わっているものがほとんどであったという。
それは須藤氏には衝撃であった。
頭から溢れ出るように詩を書き出していた尾崎をこれまでに見てきたこともあるが、詩を書けなくなった。
歌う理由を失い、新しい理由をさがしている尾崎を見たことがショックであったのであろう。
NYにきて1ヶ月半、殺伐とした街に呑まれそうになりながらもNYという街の寂しさを尾崎は自分で感じて一体、どんな思いをしていたのかわからない。
しかし十代で歌うべきものは伝えてしまったという事実はあったかもしれない。
二十代になって、次には二十代としての生活者としての音楽を模索していたのではないかと思う。