1987年 1月 中旬
樫原氏の自宅を訪ねると尾崎はこれから作りたい音楽について話す。
樫原氏は十代の最後のツアーからバックバンドであるハートオブクラクションのピアノを担当していることは以前から知られている。
発売日を決めずに作る
これは中々のわがままであるが、それを受け入れて通す方針としている事務所サイドのレコード会社も最初とあってかアーティストの歩調に合わせる形となってきている。
アーティスト本意による作品作りはやってきていてもいつも時間に制約があるのがつきものであった。
デモ作りは始めたがまだ漠然としていた。尾崎はメロディーを口ずさみながらギターを弾きそこにマシン、シンセサイザーを加えて調節していく。
メロディーだけがひとり歩きしてもそこにどんな詩をつけるかも決まっていない尾崎は樫原氏と2人でデモ作りに励む。
酒をのみながら、ゆっくりと作っていても音を出すとメロディーが出て来るようであった。
シンセとギターで作る簡単なメロディーテープ音は作っていても尾崎はまだ歌えてはいない。
「スタジオでやらないとはっきりとはできないね」
という言葉を交わしながら過ごしていた。
スケジュールでスタジオ入りするのは今月の下旬であった。
それから撮影、取材と彼の仕事は少し多くなってきていた。