1987年 4月
尾崎は久しぶりにレコーディングスタジオにはいっていた。
NYに撮影に行って以来であった。
ある日スタジオに事務所の社長福田氏がきており、そこにソラチもいる。
そしてプロデュースを任されている吉野氏とエンジニアの坂元達也氏。
余談ながら吉野氏と坂元氏は2人で佐野元春を手がけておりおなじく2人で今回は尾崎を手がけることになっている。
用件は今後のレコーディングをどう進めるかということであり、また発売日を大まかに決めていかないと進展しないのでは?という意見も出た。
仮の発売日を7月1日と仮定したが、その発売日に出すためには6月の始めまでには全曲を録り終えてトラックダウン、マスターテープを仕上げるまで再び余裕のない作業に陥ることは間違いなかったであろう。
同時にツアーについても話が出た。
コンサートツアーも同じ7月1日から始めるべくもう各地のイベンターと調整が始まっていることも話された。
がこれはどれもこれも尾崎が今初めて聞くことばかりであったという。
自分の知らないところで自分のことが決まっていくことが彼が最初に持ち始めた「不信」のきっかけであったのかもしれない。
しかし時間止まることなく進んでいる。もう戻れないところまできていたのは明らかであった。