1987年 1月下旬
新宿のオフィスで尾崎と吉野氏の話はまだ続いている。
吉野氏は尾崎が影響をうけた佐野氏の話をする。
佐野は彼の頭の中に曲が浮かぶときにその曲はすでに様々な楽器の音でふちどられ完成形を示しているという話である。
しかし尾崎の進め方は音を出してから始める。
音を出して、言葉を繋ぎ、また繋げる詩を書いては消して最も相応しい詩をまた見つけていく。
それは街からか友人からか生きている彼の毎日から出される言葉たちだ。
尾崎が一番大切にするのは生活者として出されていく言葉であったのかもしれない。
入れたい曲についても意見が出る。
これまでとはイメージが違うことをやっていく。
十代で発表した「卒業」のイメージを払拭する脱却していくのが21歳になって社会人として生活者としての曲を作ってうたっていきたいというのが彼の願望のようなものに近づいていた。