1987年 3月10日
NYでの撮影は続く。
新しいレコード作りも始まったばかりであり、それと並行して行われるNYでの撮影。
作品の方向性はまだ決まっていないが、新しいものにはNYでの風景を色濃く反映させる思いが尾崎にはあった。
メロディーはできても、詞が書けない。
ということが彼の悩みでもあった。
何もかもを整理してから、人生について新しいものを歌いたかったと後年に尾崎は語っているが、新しいもの、新しい見解というものについて尾崎はこの時期からこだわり続けていたようにも思える。
まだレコードの発売時期も考えられず、ツアーの目処も立っていない。
しかし新しい見解というものをすぐに伝えるためには、再びステージに立つことが最も賢明な手段であると考えたのか、ある意味見切り発車に近いツアーを後に尾崎は始めてしまう。
尾崎には多くの迷いや悩みがこの当時あったであろうが、必死に絞り出して作られた曲たちが陽の目を見るのはまだ随分先の話だ。