matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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何もかもが違う

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1987年 4月中旬

曲である「街路樹」のトラックを完成させるのには時間がかかった。

スタッフたちとの会議で聞いてから尾崎は何度も詞を書き直したりしていた。

バンドスタイルで歌入れを行ったが尾崎は妥協を許さずにこの曲を完成形にさせるために模索の日々が続いた。

何日が経った頃、仮眠から起きてきたメンバーや尾崎がスタジオの休憩所でテレビを見つめていると、オーケストラの番組がやっていた。

毎週日曜日の朝からやっている「題名のない音楽会」という番組で尾崎はこの番組を見て「街路樹」にオーケストラの演奏を加えることを思いついた。

早速、プロデューサーの吉野氏と掛け合ってみるが、それにはまた莫大な金がかかるということで自分の判断では決めかねる様子であった。

「確かにいいけど予算がねえ...」
と吉野氏はつぶやいた。

ここでこの両者の関係を調整するかのような存在でスタッフにいたディレクターのソラチは当時海外にいた事務所の社長福田氏に国際電話でこの件を相談したという。

「あの曲のエンディングはこれしかないんです、最高の曲に仕上げます」

とソラチは電話で福田氏に直訴した。

福田氏は

「そこまで言うならやってみろよ、失敗するなよ」

と言い、フルオーケストラで演奏することが決まったがアレンジャーの樫原氏もこのための譜面書きで大忙しになった。
なおこのオーケストラのためにかかった費用だけでも数百万円かかった。