matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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1987年 6月下旬

リハーサルは続く。
十代の頃からは大きく変わったものがいくつかあった、バンドメンバーに楽曲のアレンジそして尾崎の声もその一つであったように思う。

十代の後半、最後のLTAツアーをまわっているころは芯が太く伸びがあるようにも聴こえた。
大阪球場でのライブから3ヶ月あまりで大きく成長をみせた時期であったようにも思う。

そして87年尾崎は1年半ぶりにステージに立つことは何度も書いてきた。
コンサートツアーとしても翌年まで続くロングツアーであり並行して次期アルバムのレコーディングも続けられると彼は仕事をしすぎているようにも見えてしまう。

そして主題の声であるが、最初に仮の歌入れをしたとき尾崎の声はなんとな出た、しかしその声は以前より太く伸びがあったという。

しかしライブはレコーディングとは違い、連続して次々と曲を歌っていかなければならずその時間は2時間半から長いときで3時間を過ぎてしまし、その全力投球が既に50本は用意されていた。

毎度のライブに全力投球する姿は変わらずその姿勢はリハーサルスタジオでも垣間見えたことができたであろう。
初の本番初日が近づく中尾崎はセットリストの曲順を最後まで悩み続けていた。
最後のリハーサルの日に打ち合わせを終えると次にメンバーと会うのはツアー初日ということになる。

彼は練習に余念がなかった。
心配性とかそんなものではなくてベストな状態でステージに臨むことが彼の信念であったようにも思うが弁護するならば追い込みをかけすぎていたのが尾崎自身の仇になっていたと推測する

この声に関してもそうである、‘しゃがれた声‘という彼がイメージをする声のために喉を潰していたことさえもあったという。

少しの理想を求めて狼のように印象されるこの時期も尾崎にとっては必要であったのかもしれない。