1988年 8月
LIVE COREはたった1回きりのライブとうことで、マザーの社長福田氏の意向でこれまでとは違うスタジオミュージシャンを多く起用したまったく新しいバンドで構成された。
主に「太陽の破片」のレコーディングで楽曲のアレンジを手がけたサックス奏者の本多利之氏がバンドマスターを務めた、ドラムスの村上ポン太氏も録音に引き続いて
‘1回きり‘
という話を聞いてこのライブに参加することを承諾した。
彼はこの当時日本一忙しいドラマーといっても過言ではなかったであろう。
余談ながらマザーの社歌を後に作る泉谷しげる氏のライブに当時参加していた。
2人がこのバンドの引っ張る存在になることは明らかであった・・