1984年12月1日
尾崎が世に送り出した最初のオリジナルアルバムであって俗に呼ばれる十代三部作の最初の1枚。
このアルバムに関しての制作過程とかはたぶん知ってる方が多いと思うので省かせてもらう。
1曲目が彼が初めてつくった曲のうちのひとつである「街の風景」であるわけだけど
ライブテイクではこの曲に詩が足されるというか本当はあの姿で世に送り出されるはずであったが詩を削り整理されこの形になった話は有名だが。
しかし尾崎は詩を削ったりすることには猛然と反対したようだしこの頃には整理するということにうまく納得がいっていなかったのだろうなあ
「存在」かなんかつくるときにノート1冊近く消費したっていう話も本かなんかで読んだし
「卒業」もたぶん公の場でやった初めてのテイクかなんかあるけど糞長い。
しかしデビュー~Firstの秋田いくまでは垢抜けない尾崎っていうか18歳の尾崎の活動が見えるわけで
そこが見所というか彼が最も若かった時期でもある。
と余談が過ぎました。
筆者が思うにこの当時の十代の心情というより十七歳の尾崎心情をありったけの工夫を詰め込んだのが「十七歳の地図」なんだろうけど「回帰線」や「壊れた扉から」と違うのはメッセージ性の強い曲が圧倒的に多いことだものね。
なぜダンスホールがこの最初の1枚にはいっていないのだろうか長年疑問だったけど
ルイード以降も中々詩が固まってないようだったからなんかね。
結果論に過ぎないのかもしれないがね。
この表題作の「十七歳の地図」ってのが筆者とても好きで尾崎も21歳になってもMCつけて歌うくらいだから同世代の十代にだけ向けてつくられた曲ではないことがよくわかる。
しかし尾崎にとっては21歳になったときにとってはこの曲は古い地図を広げてみるという言葉が印象的だ。
ロックシンガー、伝道者やら、十代の教祖とか代弁者とかいろんな肩書きもってるけど
一種の詩人であったろうと思うけどね。