matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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1984年 8月15日 取材
同じ時期に音楽業界も怪我人だらけであった、アルフィー高見沢俊彦横浜スタジアムでのコンサートの最中、ギターで肋骨を打ちヒビがはいった。
甲斐よしひろは撮影中に怪我、コンサートのスケジュールを4本ダメにしてしまった。
 
そんな話を尾崎にすれば
「4本しかダメにしてないじゃないですか」
と冗談まじりに言っていると取材に伴って傍らにいたマネージャーの本木氏は
「そう、20本も潰したのは君だけ」
 
と言われ尾崎は苦笑いする。
 
夏を潰してしまった尾崎であったが、少し浅黒く顔が焼けている。
この軌跡の記事では書く事を怠っていたが尾崎は去る、7月29日に千葉の九十九里浜へ中学時代の友人とともにサーフィンをしに行っている。
 
尾崎はこの時初めてサーフィンをやったそうだが、その気持ちをこう繋ぐ
 
「千葉の海にサーフィンしに行ったんです、毎年、毎年僕は真っ白で海の香りをかぐこともなく、過ごしてきたから、
今年こそはと思っていたのに・・・サーフィン、初めてやったんですけど、難しいですよ。
 
はっきり言ってサーファーを見直しましたね・・ だから彼らがバカにされながらもやり続ける心理ってのがなんとなくわかります。
「台風のあとだったから、ザブーンときて何回波にのまれたことか。」
 
沖まで流されてやばいと思ってね、これで俺もサーファーだね、とか思ったりして。
でも、はっきり言って、初心者は千葉なんかに行っちゃいけませんよ、湘南行ってるのはだいたい初心者ですから」
と語る。
 
しかしその中学のメンバーはまだお見舞いには訪れない、薄情なやつらだと尾崎は言っているが、どうやって尾崎を脅かそうかとこの時考えていたに違いない。