1984年12月13日 山口市民会館
日本の最西端まできた尾崎、この防長2州に一行はやってきた。
次には九州へ行くわけであるが、その準備はよくできていたようだ。
開演の1時間前尾崎は楽屋にこもり、カーテンを引いて、その向こうでは音も立てず、テンションをあげるために使っている。
尾崎は言う
「お客さんは今日はコンサートだ!っていうテンションが高い状態でくるじゃない? 演る側っていうのはずっとそれで旅をしているからコンサートを意識したくなくなるんだ、日常へ戻ろうとする。だからその1時間前の間に日常から連れ戻すんだ、そこをうまくね。じっとしてるだけなんだ。じっとしながらイライラしてるんだ。」
以前の岡山での一件以来、尾崎の意識も変わっているようであるがやはりあのたこやきのMCは重要であり、後の青年館での「バーカ」へと連なるようにも筆者は思う。
しかし自分のステージに厳しい点数をつけさらに昇華できるものを探し続けている尾崎にとっては
20公演あるうちのコンサートでもすべてにおいて全身全霊を捧げて挑んでいることを思えば、1公演に過ぎなかった岡山に関しても納得がいかなかったようにも考えることが出来る。