1985年6月4日 富山県民会館
尾崎は富山にきた(゚д゚)トヤマ
初夏を迎える時期に北陸にきた尾崎は最終日の大阪球場を迎えるためにコンサートを重ねていくことになる。
この頃まだ楽屋が小さく、尾崎個人の楽屋がなかったという。
尾崎は後年本番が近づくと1人で楽屋に篭り集中した話が残っているが、この頃は本番間近になるとトイレによくこもったりしたそうである。
楽屋というのものは尾崎にとって1人になれる唯一の空間ではなかったであろうか?
と筆者は推測する。
本番は訪れ、楽屋を出た尾崎は舞台袖で、本番何分前という声を聞いて客電が落ちれば、メンバーの演奏が始まる。
舞台袖を懐中電灯で照らして通された先にはメンバーと彼を待っている、観客が尾崎、尾崎!とよんで彼の登場を待ち望む声が聞こえてくる。
そんな声の中尾崎は本番に望む。
このツアーではよく12弦ギターの弦がブチ切れるまでかき鳴らしたギターが有名だがやはりそれだけの思いを込めて「米軍キャンプ」という曲を完成させたのであろう。