1985年6月5日 福井文化会館
本番前の尾崎
彼は休みもなく移動をし福井にきた。
尾崎のコンサートというものは最初のライブハウスツアーが機材車を含めたトラックツアーから始まり、最初のツアーに従ったスタッフは全部で11名だった。
前回のツアーから移動は電車に変わっており、多少は出世しているのであろう。
その時に彼を支えたマネージャーは小川清氏からファンの間では当時から名が知られていたソラチこと空田満氏に変わっていた。空田氏は尾崎と年齢が一緒であり、清氏はは1歳年が上であったことは以前に述べた。
今回のツアーから主に尾崎のステージでの仕事を支えたのはこの空田氏であり、前回から引き続いてツアーに従っているのは責任者の福田氏と本木氏などである。
社長である福田氏が尾崎のツアーにほとんど付きっきりであったことは尾崎への期待とこの長期的なツアーを完遂するために会社全体が尾崎を前へ進めて行く英雄的冒険であったかもしれない。