1985年 7月16日 熊本県立演劇会館演劇ホール
九州2回目のコンサート、観客とのコミュニケーションをこの時期の尾崎は意識し始めていたようであるが
やはり一緒に楽しむというコンサートには抵抗があり
「一緒に歌われても困るときがあるけど、独りで抱えて悩んじゃうからね、お酒を飲んだりするより、何かしなくちゃって思うんですよ、音楽的なことなんだけど、音楽的革命みたいなもの、状況を帰るってこともあるし」
「歌というものを通してもっと精神が豊になっていくものを作っていくこともあるし、ひとりのミュージシャンとして、そして出来上がった作品が消費されていかないようなものを作りたい」
と語った。
以前にも書いたがこのまま十代のというレッテルを貼られ活動していくのか、という道で尾崎は悩んでいたに違いない。カリスマというものではなく一人のアーティストとして見てほしかったのであろうが、人々の視点は冷ややかでまた尾崎の希望通りにもならなかったであろう。