1988年 7月
事務所の先輩に話題はうつる。
「ハウンド・ドッグのみなさんなんかも、同じ事務所ということもありますが、僕が見てて学ぶことすごく多い。」
「尾崎くんが3年かかってレコード作ってる間に、ハウンド・ドッグは200本のツアーをしてたという。」
「オー、いつも感心してます。」
「(笑)メンバーがね、ブツブツ言ってましたよ」。
「「半分俺にやらせろ」「尾崎仕事せんかぁ」なんてね(笑) 「尾崎仕事すりゃあ、俺たち半分に減るんやぁ」かなんか言われてね。年季のはいってるとこ、感じますよね、気合いの入ってるていうのかなあ。」
「たまたま同じ事務所で、ステージ見る機会も多いしね。」
「うん、そうだな・・・。 浜田さんとか、佐野さんとか・・・。浜田さんは、初めて聴いたのは中学の時、兄貴の友達がね、学園祭でやるからって、俺がベース弾くってことでね、浜田さんの曲をコピーして弾いたことがあったんですけど、その時に、「愛の世代の前に」とか「丘の上の愛」とかね。
その曲聴いて、「すごい曲歌ってる人がいるんだなあ」と思って、丁度僕がデビューするころになって、「PROMISSED LAND」、あれを歌いながらね、僕高校生活を送ってましたからね(笑) あれ聴いててね、友達がね、「尾崎、なんでそんなに怒ってんの?」っていきなり質問してきたという。
「それ、ステージでやってたよね。」
「丁度ねぇ、自分が聴いてきた音楽がフォークからロックへ変わる時期でね。今まで僕が聴いた曲と全然違う側面を歌おうとしてるんだなと思った時にね、「あっ、そこを僕も見つめているんだな」 そんな風に思ってね。それで初めて書いた曲が「街の風景」だったんですね。授業の半分はそれで費やされましたね。つまり1学期の間中ずっと。・・・・」
「詞書くときって、ノート一冊分くらい書いちゃうんだよね。」
「書きましたね。今も書きますけどね。」
「それをずーっと言葉を削って削って削って。難しいよね。」
「そうですね。でも、その中で気に入った箇所をね、たまたま現国の時にちょっと抜き出して書いたらね、次の週に先生が、わら半紙に僕の詩を刷ってクラス中に配ったという、「尾崎くん、これどういう意味なんですか?」とか言われて、解説させられたってこともありましたけどね。」