1990年 4月
ダブルアルバムになるといいう話は製作中にあった。
話をさかのぼれば2ndアルバム「回帰線」こそ最初に2枚組みという案が出ていたものであったがオリジナル作品としては初の2枚組みアルバムとして「誕生」は送り出される予定でソニーとしても尾崎の復帰作品としては高い制作費をつぎ込んでいた。
尾崎、須藤両人としても売れることを前提に作りながらも売れなかったことのことは考えていたのかどうか世間から姿を隠していた尾崎の復帰作品としては充分なボリュームであっても月刊カドカワだけでの宣伝では力不足であった。