matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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「壊れた扉から」 Forget-me-not 苦労の末に生まれた比類なき名曲。


Forget-me-not
アルバム「壊れた扉から」・同名17thシングル(01.4.25)収録。編曲:西本明。
『収録曲』
 1.路上のルール 2.失くした1/2 3.Forget-me-not 4.彼 5.米軍キャンプ
 6.Freeze Moon 7.Driving All Night 8.ドーナツ・ショップ 9.誰かのクラクション

彼が十代最後に発売したアルバム「壊れた扉から」それに収録された曲の中でも最後に完成した曲と言われています。このアルバムをプロデュースした須藤晃氏の著書『尾崎豊 覚え書き』の40~41ページを読む限り、『Forget-me-not』は難産だったようです。
特に、下記の箇所。
「残りの一曲、忘れな草を意味する英題の歌『Forget-me-not』の詞がうまくできなかった。
僕らスタッフはスタジオに泊まり込み状態だった。それこそ着替えを持ち込んで何日もかかりっき
りになっていた。他の曲のミックスダウンも着々と終了していき、最後の一曲がぽつんと残った」
わすれな草は尾崎が十代最後に作った曲。
3rdの『壊れた扉から』は須藤さんの願いもあって、
どうしても尾崎が十代のうちにリリースすることになっていた。
だけど、わすれな草の詞だけがいつまでたっても出来なかったらしい。
期限最終日の前日、尾崎は『絶対今日中に帰ってくるから、一度家に帰らせてくれ』と言って家に帰った。
案の定、帰ってこない。須藤さんがいくら電話かけても尾崎は出ない。
結局尾崎が帰ってきたのは次の日の朝。
笑顔の彼の手には寿司の折り詰めとワイン。そしてわすれな草の詞だったそうだ。

須藤さんの『尾崎豊が伝えたかったこと』。

ちなみにこのアルバムの発売日が1985年の11月28日
同年の11月29日に20歳を迎える尾崎は十代で三十曲を作成するという目標があったようですがこの壊れた扉からを含めて三枚アルバムを発売しましたが29曲しか作れませんでした。
(初期のツアーで歌っていた反核(街路樹収録の核COREのベースとなった曲を含めれば30曲)

ツアー中に制作したため未完成のような感覚で世に出されたアルバム。
それは十代というテーマでつくってきた自分の曲が20歳を迎えたところで自分の歌うべき目標を転換した
彼の考えではなかったでしょうか?