matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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創作活動

NYへ行った彼が行ってきた一部に創作活動がある。
1988年にリリースされたシングル「太陽の破片」〔レーベルマザー&チルドレン〕の詩の一節が渡米中に
完成していたと言われている。〔詩の一行文程度〕
彼が後に創ったアルバム「街路樹」に収録された曲などをどこで構想して完成させたかは定かではないけれど十代の頃に構想があった曲を完成させたのか〔核COREは十代の時に反核という原曲が存在した〕
新たに考え直したのか?
尾崎豊を卒業する契機になったアルバムとして当時のリアルタイムの人達は「街路樹」をよく挙げます。
それは三年ぶりにリリースされたアルバムであったけど十代の頃とはかけ離れていた楽曲が多かったと
話しています。近年まで「街路樹」は彼の創ったアルバムの中でも最低の出来だと言っているがいます。
しかしその再評価の風が吹き始めています。
理由としては彼自身が言った発言。
「つくりたくないアルバムをつくらされたりした」
彼が制作中に
「やめたいんですけど」
とスタッフ側に言った事を後に著書に書いています。
しかしアルバムをつくったらツアーがあるそんな事を思いながら否定の思いを持ち続けながら創った
アルバム。
彼自身が懸命の思いでつくった曲には変わりがありません。
しかし制作する時期ではなかったということではないでしょうか?