matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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三鷹にてゲネプロ

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1985年10月29日、30日 三鷹市芸術文化センター
 
すぐ目の前にツアー初日である11月1日が転がっている。
この2日を使って、ツアー開始前のゲネプロをこの三鷹芸術センターで行う。
ゲネプロというのは、本番とまったく同じ進行で進むリハーサルのことであり、MCも含めてすべて本番どおりに進めて行くことを指す話は以前にも述べた。
 
しかしゲネプロをツアー開始前でも直前に行うことは、少し珍しくいくら遅くても1週間ほど前に行うことからみて、いかにこの時の彼らが逼迫したような状況にあったことが伺える。
1曲目の「卒業」から「彼」「DRIVING ALL NIGHT」とリスト通りに進められ、要所、要所では打ち合わせ通りのMCを喋って、観客がいないだけのステージを続ける。
 
本編と2回のアンコールも含めればコンサートの次官は2時間45分~3時間というところだ。
尾崎次第で少し長くなったりする「ハイスクールR&R」は新しく加わったピアノとシンセのおかげで音色は厚くなり、尾崎が考えていた、ステージというものに近づきつつある。
ゲネプロの中で行う、「路上のルール」の進行の打ち合わせも度々行い、尾崎は入念にメンバーたちと協議を重ねているが、納得がいく形にはまだなっていない。
 
ゲネプロが終った31日は久しぶりの休日になる。
大阪球場から休みほぼなしで走り続けてきたが、またツアーに尾崎たちは戻っていく。