尾崎豊の軌跡を追う 二十代前編
1988年 8月 尾崎にとってコンサートとは・・ライブとは今の彼を取り巻く状況の中には、9月12日に行うLIVE COREしかない。 コンサートは・・ステージは尾崎が一番輝く場所であった。 これまでの仕事もほとんどはステージでの仕事でテレビに出演することは…
1988年 8月 今月はライブのために打ち合わせが控えていたが尾崎は歌いたくないと言い出したという。 信用できない今の事務所のために歌いたくはない仕事はしたくないという言い分であった。 言い訳だけをしているだけの尾崎ではない、事務所はマザーから抜…
1988年 8月 マザーをやめたいという思いは尾崎としては最早取り下げることはできない思いであったのであろう。 しかし次の仕事・・彼にとっての最後の仕事が決まっているからには、逃げることができないそれが業界で生きる人間の最低限のルールとでも考える…
1988年 8月 マザーをやめたらいいのだが、どうしたらいいだろうか? という尾崎の相談を兄の康氏がうけたのが88年8月頃であったという。 これより時期を前後して尾崎はやめたい旨を口頭で伝えていたのが話にならなかったという。 取り合ってくれないこと…
1988年 8月 2人は帰国すると土産話をするように、朝霞の実家へと足を運んだ。 また少しの間、ここで生活を送っていたようだ。 尾崎はコンサートを1ヶ月前に控えて、少し体を気にしてか外に出てジョギングをしたり体を鍛え始めたと思えば大酒を食らったり…
1988年 8月 マンハッタンでの1枚・・ メトロポリタン美術館へ行った後に大きな広場が見える石段に腰掛、ローラースケートをはいて踊る若者たちをみながら光GENJIのほうが上手いよと言うと尾崎は煙草に火をつけた。 旅が終わろうとしている、8月上旬2…
1988 8月 ある日の朝食にステーキを食べる尾崎・・彼は肉が好きであった。 19歳のときにNYへきたときもよくステーキを食べたという。 旅にも終わりが近づいていた・・ 帰国してからはLIVE COREにむけての打ち合わせがある。 休暇は終わりに近づいていた。
1988年 8月 公園を歩く2人・・・ここには大道芸人たちがいた。 ギターで弾き語りをしている人に尾崎は曲をリクエストする・・曲はジョン・レノンの「LOVE」であった。 聞き終わると百ドル札を男の黒い帽子の中にいれたという。 男は、驚いたがにっこり…
1988年 7月 NYをぶらぶらする2人・・ 屋台でホットドッグなんかのジャンクフードを食べるとレーガン大統領の等身大パネルと一緒に写真を撮ったりしたという。 57番街をぼんやりして風に吹かれながら歩く・・ 街は危険と隣り合わせ、クラブの帰りに乗ったタ…
1988 7月 マリオネット・マルキー・ホテルではチェックインするまでが大変であった。 クレジットカードをもっていないために、かなり待たされたという。 尾崎はフロントで宿泊代9日分と保証金を全額前払いした。 部屋にはいるとルームサービスを頼んだ。 電…
1988年 7月 ホテルの部屋の窓から外を見ると大きなホテルが見える 「あのホテルは知ってる、昔吉川晃司が泊まっていたホテルだ。あそこはすごくいいんだ」 と尾崎は言うと、今のホテルを一晩泊まって次の日ホテルを引っ越すことにした。 日本でも同じような…
1988年 7月 空港に着いた2人は、入国審査のところで足止めをくらった。 突然の旅行で宿泊先も決めずに来たことや、帰国のチケットが見つからずに不審に思われたということであった。 入国の理由を明確に伝えるのに難渋したという。 2時間あまり足止めされて…
1988年 7月 以前から新婚旅行のやり直しという尾崎の提案でNYへいくことが話されていたが大きな仕事がなくなった今休みを利用して行く事になった。 席はファーストクラスであった。 機内サービスのシャンパンやワインを飲みながら大いに酔ったという。 尾…
1988年 7月下旬 目だった仕事が9月のライブまではなく、尾崎の予定も白紙であった。 日常は過ぎていく。 この頃、尾崎はワープロを購入した。 結婚したばかりのは今まで朝霞の尾崎家で生活していたが気分転換も兼ねて、義父母のほうでも1週間ほど生活をして…
1988年 7月 テレビ出演にインタビュー、レコーディングにラジオと順調に仕事をしているように見える尾崎。 ここ3年間、1095日のうち実働としてはそこまで活動はしていない・・ 同事務所のHOUDND DOGやRED WARRIORSは1000日あまりは活動していたであろう。 今…
1988年 7月 ラジオを通じての取材は終わった。 尾崎は雄弁に多くのことを語るとファンへのメッセージをおくる。 少年の頃僕は誰かの背中を見て育ってきたような気がする やけに日焼けしてた僕の肌は 耳鳴りの向こうで行き交う車のエンジン音を感じていた 夢…
1988年 7月 「NYに行ってた時、向こうのミュージシャンとかと会ったの?」 「レゲエの人は何人か会いましたけど。向こうで見たライブの中で、一番感動したのはねぇ、シュガー・マイノット。 レゲエってもっとゆったりした感じなのかと思ってたんですよ。全…
1988年 7月 事務所の先輩に話題はうつる。 「ハウンド・ドッグのみなさんなんかも、同じ事務所ということもありますが、僕が見てて学ぶことすごく多い。」 「尾崎くんが3年かかってレコード作ってる間に、ハウンド・ドッグは200本のツアーをしてたという。」…
1988年 7月 話は友人のことへ 「色んなアーティストと仲いいんでしょう? 岡村くんとかも。」 「まーた、あいつもこれがおっかしいんだって(と吹き出す)」 「笑いをこらえきれずにいます。おなかを抱え出しました。」 「もー、ほんとに。 いやーあいついい…
1988年 7月 話は少し懐かしい話へ 「うちの昔ボーヤやってたキヨシ君がね。キヨシの話になりますけど。キヨシ君はね、レッズに入る前はね(笑)あれはどこだったけなぁ。 そう、あれは下北の村さ来かな。プロのベーシストを目指すか、それとも裏方のプロにな…
1988年 7月 話は「太陽の破片」のP撮影のことへ 「今度は自分の映像、ビデオ作って。あれ見ましたけど、かわいいですよね、子供が。」 「子供をあやすのに1時間くらいかかって(笑)」 「3つか4つの女の子、男の子10人くらいずつ出てくるんだよね、で、み…
1988年 7月 話は、テレビに生出演した話へ・・・ 「そういえば、テレビに初めて出てしまった、歌番組に。あれはどうでした?」 「緊張しまくってましたね。全然違うんですよ、やっぱり。色んな人たちが出るでしょ。ニューミュージックとか歌謡曲とか演歌とか…
1988年 7月 話は、尾崎の生活のことへ・・・ 「ステージの話をしてて、マラソンの話をしてて、体力を鍛えていると・・・」 「そうなんです。で、まあ色々と縄跳びとかね。そうするとね、近所のおばさんが「縄跳び上手ね」とか言って通り過ぎていくという・・…
1988年 7月 話題は、次にライブを行う東京ドームの話になる。 「Big Eggって見に行ったことある?」 「Big Eggはミックジャガーのライブを見たんですけど、あの微妙な一秒ずつ遅れてくる・・」 「音が難しい?」 「うーん、なんかそういうことも関係なく見て…
1988年 7月 話題は新作「街路樹」の詳細について触れられる。 「 「街路樹」ってタイトルはどこから?」 「これは、僕がNYの街を歩いた時、どこの道にも植木があったりとか(笑)街路樹が並んでいて、ものすごくNYってセントラルパークが大きいでしょう…
1988年 7月 インタビュー形式でラジオ収録は行われ最初からアルバム製作の硬い話となる。 「3年もかかってしまったわけだ。間に余計なこともあったし。」と藤沢氏は鋭い言葉をつなげる。 昨年のアルバム延期にツアーの中断尾崎はどこにいってしまうのだ…
1988年 7月 ラジオ番組での選曲は以下の通り この日の選曲 スティング「ブリングオンザナイト」 スタイルカウンシル ジョンクーガ―・メレンキャンプ「ペーパーインファイヤー」 スティーブ・ウィンウッド「ファイヤーラヴ」 ティナターナー&ブライアン…
1988年 7月 東京都内東海ラジオスタジオ 藤沢映子のR&R宣言の延長という形でラジオ番組「ロックステーション」のゲストに尾崎を招くという手法のインタビューが行われようとしていた。 当日応接室で集まった東海ラジオの加藤与佐雄氏、藤沢映子氏、マザーの…
1988年 7月 打ち合わせも終えて2人はお茶を飲んでいると尾崎は不意にこんなことを言う。 「そいえば今日ぼく、尾崎豊みたいなヤツと間違えられたんですよ」 と話し始めた。 「オザキユタカミタイナヤツとマチガエラレタ・・??」 田島氏は混乱ぎみに聞き…
1988年 7月 ジャケットに収録する写真に添えて詩も書きたいということでその場で与えた紙と鉛筆に尾崎はライナーノートをあっという間に書き上げてしまったという。 アルバムタイトルは「街路樹」に決まっていつもの英語用デザインを考えるようにしていたが…