matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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尾崎豊の軌跡を追う 二十代前編

田島さんとこに

1988年7月 突然であったが丁寧な電話が田島氏のところにきた。 「田島さん、尾崎ですけど、ジャケットの写真の確認やなんかで、今日これから、そちらにお伺いしたいんですけどいいでしょうか?」 そこで田島氏は予定を調整して尾崎を待つ。 2時間後に彼は…

完成

1988年 7月 長い年月をかけて作られた作品「街路樹」がようやく完成した。 トラックダウンまで付き合うとさっそく自分の作品を通して聴いた。 全9曲、昨年1月からの製作過程を追っていくと難産の末に生まれた作品であった。 そしてツアー、中断、逮捕…

街路樹or紙切れとバイブル

1988年 7月 タイトルは「街路樹」か「紙切れとバイブル」にするかこのことで尾崎は迷っていた。 以前にも述べたが、尾崎はこの作品をあまり多く売りたくなかったようでこれまでのタイトルからすれば地味な「街路樹」というタイトルを選択したという。 …

撮影

1988年 7月上旬 レコーディングも終わりに近づいていた。 その合間を縫ってジャケットの撮影が行われた。 長時間のセッションの末に撮影は無事終了。 用いる写真はまた、後日ということでこの日の仕事は終わった。 十代から共に仕事をしてきた田島氏と…

LIFE

1988年 7月上旬 この曲も前年には録音されていたがまた再録がされていると思われる。 都市伝説的ではあるが87年に録音したテイクが同年10月頃に放送されたSFロックステーションで放送されたとか・・ 「LIFE」も同じく昨年のツアーでライブの…

ISM

1988年 7月上旬 ・ISMという曲は昨年の5月に仮で録られたレコーディングでも録られていたがおそらくこの時期にこの曲も再び再録したのであろう・・・ 前年に中断されたツアーではツアー中盤からアンコールで歌われる新曲がこの「・ISM」と「紙切れとバ…

COLD WIND

1988年 7月上旬 レコーディングも大詰となった。 COLD WINDは詩の推敲から察するに少しの手直しがされているだけであった。 NYの風景が詰め込んである1曲であるように思う。 ロッキンオンJPのインタビューで尾崎はこの曲に対してとても短いが言葉…

理由

1988年 6月下旬 「理由」は完成が遅れていた・・ どうにもアレンジが気に入らなく難航しており前年に録ったものもギターでのオケテイクにとどまっていた・・ そこで尾崎が訪ねたのはかつて過去3枚のアルバムでアレンジャーとして起用されていた西本明…

4th

1988年 6月下旬 「街路樹」の製作が続く。 「街路樹」のボーカルを録り直し、核も録り直した。 そしてシングルとして先行された2曲、「太陽の破片」、「遠い空」・・・ この2曲も収録されるべきものであったが尾崎は最終的に「太陽の破片」を収録しな…

賛否

1988年 6月下旬 尾崎のテレビ出演はファンの中では賛否両論であったという話がある。 かたくなにテレビにこれまで出てこなかったことが彼にテレビ嫌いのイメージを先行させていたことは以前に述べた。 この日の尾崎豊テレビ生出演というのをテレビの前…

終了

1988年 6月22日 フジテレビ 番組終了とともに、東京ドームでのライブをテレビで告知をした尾崎・・・ 今日の仕事を終えると事務所のバンでテレビ局をあとにした。 一度バンは事務所へかえる。 テレビに生出演・・・少なくとも尾崎の復帰を全国のファ…

サイン

1988年 6月22日 フジテレビ 番組に同じく出演した森進一にサインをしてもらったという。 これは母の絹江氏が森氏のファンであったことが起因しているようだ。 余談ながら泉谷しげるの回想でもこの日の尾崎はとても楽しそうに見えたと語っている。

本番後

1988年 6月22日 この1日、ふらついていたら芸能人に会えるかもということでよくスタジオの近くを歩いていたという。 少年隊の面々と話をしたり、南野を追い回したりとなんだかオリの中から出てきたばかりというような感じではなかったようだ。 こん…

本番

1988年 6月22日 フジテレビ 本番が始まる・・メドレーのコーナーには出演せず同じスタジオで歌うにも関わらず扱いはゲストなのか?まさに腫れ物に触るという表現が適当であるようにも思う。 スタジオも別、トークも少なくという前週出演のスライダー…

リハーサル

1988年 6月22日 フジテレビ リハーサル時には後ろで大地真央が歌っていたり、森真一が歌ってたり、中森明菜も近くにいた。 カメラテストも兼ねていたが、既に司会を務める古館、柴の両氏も尾崎の姿を見ていた。 たった1曲を歌うために1日かけての仕…

テレビ嫌い

1988年 6月22日 リハーサル前に髭を剃る尾崎 逮捕後公の場に映るのはこれが初めて テレビも初めての尾崎 テレビ嫌いというレッテルがあったがこれは短時間か限られた時間で彼の思いを伝えることが難しいしと思われたことであるからであろう テレビ嫌いと思わ…

フジテレビ

1988年 6月22日 フジテレビ テレビ出演のためにフジテレビへ・・・ なお同日の出演者はこんな感じ・・・ パナナラマ、メリサ・モーガン、渡辺貞夫、森進一、サザンオールスターズ(マンスリー)、 尾崎豊、大地真央、安全地帯、チェッカーズ、中森明菜、…

ラジオ

1988年 6月21日 TBSラジオ ラジオ番組の中で尾崎は沈黙を交えながらもよく話した。 話は「太陽の破片」の読み方「かけら」なのか「はへん」なのかということから話が始まった。 またこの時代ラジオという媒体を用いて、先に曲を流してシングルの売…

SURF&SNOW

1988年 6月21日 TBS 尾崎はTBSのラジオ番組「SURF&SNOW」に出演するためにスタジオにいた。 ラジオを通じて復帰と新作「太陽の破片」をPRするためであった。 放送は深夜で、番組のパーソナリティーは DJ・松宮一彦氏であった。 翌日にはフジ…

撮影終了

1988年 6月20日 撮影の行程がすべて終了した。 白糸の滝での撮影が終わるとスタッフは大慌てで尾崎についてる水気を拭った。 翌日の夜はラジオ番組の生放送に出演し、明後日にはテレビ番組の生出演があり尾崎はこのまま連日仕事続きであった。

1988年 6月20日 滝でのセッションは続く。 6月でも山の気候はどちらかといえば寒い、尾崎にはこれからもスケジュールがあり体調を崩すことは許されない。 滝にうたれるような画を撮るからにはこの撮影はもっと後に調整をつかせればよかったのかもし…

白糸の滝

1988年 6月20日 白糸の滝 車で少し行ったところに白糸の滝というところがあって、完全に観光地・・・ 観光客やら遠足の人たちが見守る中で撮影。 結構涼しくて、お水も冷たいらしく尾崎の唇が紫・・・なかなか見せ物っぽくなってしまい、スタッフたち…

再び

1988年 6月20日 再び朝霧高原へ戻ってギターを取り出したりしながら別のカットを撮影していた。 さきほど、水にはいってパンツまで水びたしになってしまった尾崎・・かなり体は冷えていたようだ。 撮影のスケジュールは2日間の強行であった。 尾崎と…

20日のこと

1988年 6月20日 旅館に着いた尾崎は夜遅くまで飲んでいたという、翌日も早朝からロケが行われるというのに・・・ 朝の6時半・・・スタッフたちと共に尾崎は朝もやたちこめる本栖湖へいく ここは一番綺麗だけど、水も一番冷たいとか・・ロケでは滝に…

高い

1988年 6月19日 クレーン上からの撮影で、この下を子供たちが動き回るという撮影であった。 この時、1回だけこのイスから尾崎が落っこちてハラハラしたのはスタッフ一同!・・ケガはなかった。 子供達が日没で帰っても、尾崎は歩いたりクレーンにつ…

1988年 6月19日 小屋の中での撮影でディレクターから涙を流す画がほしいといわれ、涙を流してみせた尾崎。 素材を多く撮るのは撮影の基本とはいえ、どんな要求でも難なくこなしている。 この撮影では以前の狂気というものは感じられないが撮られてい…

撮影

1988年 6月19日 朝霧高原 子供を交えてのカットが次々と撮影されていく。 途中昼食の休憩を挟むと朝が早かったこともあって、寝てしまう子供もいたという。 撮影中には子供たちが裸になって歩くシーンがあるが勘違いしておしっこをしてしまったりと大…

朝霧高原

1988年 6月19日 朝霧高原 撮影が始まっても子役たちが座っている尾崎にのっかりと思いのほか難航していた。 尾崎にのっかっては、セットした髪をぐしゃぐしゃにしたりと子役たちも尾崎と仕事でありながらも「遊んでいた」ようなものであったのであろ…

撮影間近

1988年 6月19日 朝霧高原 尾崎はひとあし先に現地にいた。 ロケにビデオの仕事と彼は以前よりも仕事に精力的に打ち込んでいる。 このほかにラジオの仕事が決まっているし、テレビ出演もある。 PVには多くの子役が集められていた。 ビデオの構想を舞…

集合

1988年 6月19日 日曜日の午前8時新宿駅に出演する子役とそのお母さんたちが集まっていた。 子供達(女の子16人、男の子11人)ととともに母親を含め出発。 目的地は富士山が近い朝霧高原。 バスの中では子供たちがはしゃぐ・・それは動物園のよう…