matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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2012-11-01から1ヶ月間の記事一覧

代々木体育館 2日目 アンコール

1985年 11月15日 代々木体育館 2日目 アンコール 部屋で煙草を吸いながら上着を脱ぎ捨てシャツ1枚の姿になると煙草を咥えたまま、舞台裏へと歩き出す 暗い道をソラチが懐中電灯で照らしながら歩くと、ステージの階段を登るとスイッチがはいった機…

代々木体育館 2日目

1985年 11月15日 代々木体育館 1日空けた代々木体育館にも観客は押し寄せる。 多くの関係者も彼のステージを見るために関係者席は背広を着た人々で埋め尽くされる。 午後6時を過ぎた頃にバンドメンバー、ハート・オブ・クラクションが姿を現すと、…

ほほほh

すっかり寒くなったねー 飯がうまいし、朝起きにくいし いいこともあれば悪いこともある、そんな季節だね

代々木の外

1985年 11月15日 代々木体育館 夕方のPM16時頃、観客たちは入り口の前で列を作り、やがては最後尾はどこにあるのかわからなくなる始末でもあった。 長蛇の列を見て驚いたのは少し遅れてきたような学校帰りの女の子たちで、ヒステリックな声をあ…

リハーサル

1985年 11月15日 代々木体育館 「おはようございまーす」 という声が至るところから飛び交うホールの中央からは昨日も見渡した客席を見渡すと、空席の客席を見つつ尾崎はリハーサルを始める。 ギターをかけると、指示をだす。 「ドライビングオール…

代々木体育館 初日

1985年 11月14日 代々木体育館 代々木体育館での2Days初日は14日であった。 1万人を越える観衆に迎えられた尾崎はSEが切れる頃にステージへと姿を現し、ピアノに座ると「卒業」のイントロを弾き出し、このツアーのコンサートが始まりを告…

尾崎くんのライブでの醍醐味

同じようなことをTwitterでも書いていたのだけどふと思い出したこともあったのでこっちに書いてみる。 事の発端は尾崎のライブで一番盛り上がるところは彼が最初に出てくる時じゃないっていう話でそれが醍醐味さってことだったのだけど。 昔おかんにも同じこ…

ルイードから京都ビブレホールまで

新宿ルイードでのデビューライブを終えると尾崎はすぐに日常へと戻っていく。 メンバーとの練習や取材と仕事をこなしながらも、着実に尾崎というものは音楽雑誌などに取り上げられていった。 余談ながら、この時の事務所マザーエンタープライズ、以下マザー…

本の影響

出版した初の著書「誰かのクラクション」この85年の11月目下飛ぶように売れており、増刷が決まったりと出した側としては旨味しかないような状況が作り出されており、結果としては30万部を売り上げることになることは以前述べた。 しかし出版社である、…

日曜と雨

雨なんだなこれ 今日は夕方まで家やな

MOTHER

マザーっつても マザーエンタープライズじゃないよw 親のことよ 最近久しぶりにあの記事を読んだという人がいたので、少し私も読んでみたけど、まあ懐かしいこと 今年もそろそろ終るよね 来年でこのアホなブログも5年になるし、おかんは亡くなって4年にな…

ステージ衣装

ステージ衣装というものは1回のツアーで3着ほど用意するのが尾崎のスタイルであったようで、特にロングツアーとなった前回の回帰線ツアーではスタイルを何度かもって、ステージに挑みアンコールにはタンクトップかシャツで出てくるというのが、基本となり…

土曜

土曜日なのにいつも起きる時間よりも3時間近く目覚めると、そこには部活に向かう妹と、今日は休みでまだ寝ている父のベットがある。 俺は起きると、飯を食って、テレビをつけてなんか飲んでいた。 ベランダに出るとそこには雲ひとつない空が広がっている。 …

代々木へ

ツアーが終って尾崎は代々木体育のライブを、行うその事実だけが残った。 チケットは2日間のものはすべて完売し、ファンはそのライブを待ち続けることになった。 2日のライブで3万人を動員することになる、尾崎は大阪球場であったような、胃の痛さの緊張…

終ったぜー

いやー終った 疲れた とりあえず、金曜終った まったり休もうぜ

岐阜市民文化会館

1985年 11月8日 岐阜市民文化会館 ライブ本番の尾崎は叫び続ける。 彼のホームグラウンドは東京という街であったが、幼少期を過ごした故郷でのライブではあったがその当時のことをファンたちが知るのは後年のことである。 高山市に住んでいる親族はラ…

((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

普段威勢がいい俺が久しぶりにビクついたわ もう若くないのかねえ

岐阜での尾崎

1985年 11月8日 岐阜市民文化会館 豊橋から移動した尾崎はこの中部ツアー最後の地である、岐阜にきていた。 岐阜市民会館は、新幹線の駅がある羽島駅から北に少し行った、中心部である岐阜市にある。 また尾崎はツアーでくる、この初めての地でのライ…

おほおお

俺は話をするのが好きだ どんなことも人と何か話をしたほうが楽になるのかねえ

豊橋勤労福祉会館

1985年11月7日 豊橋勤労福祉会館 1日の休みを経て尾崎は浜松からすぐ隣の愛知県豊橋市にきている。 豊橋という街を尾崎はツアーで訪れるのは初めてになる。 東海地方には尾崎の父母の生家などがあり、尾崎にも親しみのある地域となっている。 愛知県…

ろろろ

尾崎くんが取り沙汰されるなか ドッグやスライダーズ、レッズにハーツと 彼らの映像も残さずカビが生えて虫食いになる前に世に出してほしいものだ

浜松市民会館

1985年11月5日 浜松市民会館 即日移動で南下した尾崎一行は静岡県浜松にいる。 浜松に訪れるのはこれで2度目になる。 リハーサルで会館内の間取りを確認すると、尾崎は設置されたピアノの前で「卒業」弾き始めてリハーサルを始める。 数時間後には本…

帰宅ったー

久々に疲れる月曜となった あー

十七歳の地図~新宿ルイード まとめ

尾崎豊というアーティストが最初に出したアルバムである「十七歳の地図」、この1stアルバムにはリアルタイムの十七歳の考えが詰まった作品として意味のある作品であったと思う。 思いのほか最初がプレスされた数が少なく、店で自分のレコードを見つけれなか…

山梨県民文化ホール

1985年 11月4日 山梨県民文化ホール 2日の休みを経て尾崎は山梨にきている。 即日移動で都内から中央線で山梨まで移動し、駅からはイベンターの車で15分ほど走るとコンサートを行う会館に到着する。 早い時間帯から入場を待つファンの作っている列を整理する…

快晴

とても天気がいい もう少し暖かいとうれしいのだけどね 外は寒いよまったく。

さっむ

11月にでもなるといやー寒くなったものさ ストーブ出したわー 最近の私はうどんばかり食べている毎日 なんか肉が食いたいな いや魚でもいいな

PATi-PATiでの告知

3枚目のアルバムの発売を知らせる告知が尾崎を取材している各雑誌に載っていた。 PATi-PATi、GB、B-PAS、宝島、ARENA37℃特に精力的に尾崎を取材していたのはPATi-PATi、GBの2つであった。 そのPATi-PATiに載った「壊れた扉から」発売を知らせる告知が載り…

宣伝シングル

全国のレコード店に配布されることになった宣伝用のシングルとして新曲の「路上のルール」と「失くした1/2」を収録したもので、やっと完成した尾崎のレコードを告知する動きが活発に展開している。 尾崎はツアーに出て、全国をまわる旅の最中にある。 そんな…

ねむたす

飯がうまい秋 そして眠たさも増すというわな