2013-01-01から1ヶ月間の記事一覧
以前、85年の11月の時点で尾崎の86年の予定はまったくの白紙であったということには触れた。 その当時には映画製作、新小説の執筆などが囁かれていたが具体的に明確な活動予定が提示されたことはなく、尾崎は沈黙するように無期限の活動休止をしてしま…
もうちょいで休みー そいやあ成人式なんてあったねえ
以前にマザーの思惑は書いたが何よりもこの新レコード会社設立というものはマザーにとって巨額の資本を投入し、その投入した金が果たして活き金になるか捨て金になるかは経営をする人間の肩にかかってくることになる。 当面の目的は自社所属のアーティストを…
よく寝れる日が続くがそれは疲れているからなんだろうね なんだか卒業に向けて忙しいよw
マザーの思いは書いたが、注目すべきはその対立する立場になるであろう、ソニーのこともある。 レコード会社にとってアーティストの離脱というものはすなわり減益を意味するし、これは業界内でも 「信義」の問題となってくる。 それまで一緒にやってきたレコ…
自社プロダクションに所属しているアーティストのレコードを自社レーベルのレコード会社で制作、販売を行うことができたら? という発想を浮かべた人間は多くいたことであろうが、実行にうつした事務所は過去には存在しない。 その思いをこの86年に画策し…
学校始まった そいやあ学校行くまでのあとの日数はあと20日程度よ がんばろ
尾崎はマネジメント契約を音楽事務所マザーエンタープライズと交わしており、レコードの制作、販売を行うレコード会社にはデビューする際にオーディションをうけたCBSソニーと契約を交わしている。 また事務所とレコード会社はアーティスト契約を交わして…
今日で休みも終りー さてさて卒業にむかって走りましょう
重要なのはこの海外へ行く話のことを尾崎はどう感じて思っていたのか? 行く前の当時の尾崎はあまり嫌であったように思えるようなことはなく、また当時海外へ行くという観念が今日の観念とおは大きく違っていることも考慮しなければならない。 尾崎のこの時…
でもこんなに休みがあるのも学生のうちだけだよね。
さっみー 外には出たくない
当初二度目の海外渡航先はヨーロッパのロンドンであったが、まだこの時期に発生していないが ソビエト連邦、プリピャチにおいて起きたチェルノブイリ原発事故の影響でイギリスは放射能汚染の危険があるため、渡航先をアメリカNYにするという転換案が原発事…
どこから話をするべきか筆者は少し迷っている。 話は前年である1985年に遡る。 尾崎はこの年の2月から3月にかけて1ヶ月の休暇をもらってNYに滞在していた。 その計画自体はその更に前年である84年から浮上していた話で事務所サイドから尾崎家に話…
うおーーーー このカテゴリを忘れていたのではないだろうか? そんなこともないよー 今年はこのカテゴリも書いていくけど、どうぞよろしくです
えーどうもです、筆者のmatagorouです、どっかでは勇の名前ですが。どもども なんだかんだで最初に書いたのが2年前の11月だったんですけど、いつの間にか時間は過ぎていって 去年のブログの更新は本当にこのカテゴリを書き尽くすためにあったんじゃないか…
分ける、必要はないんじゃない? なんて言う人がいるかもしれないけど、けっこう「十代編」で更新して、見辛い面もあるので 新しくなるのを機会に一新という感じで、これからはこちらのカテゴリに書いていきます。 これまで読んでくださっている方も、これか…
尾崎は活動を休止、この始まったばかりの86年にあまり尾崎の目立った行動はなく、その生活の半分はNYで過ごしていたことになる。 いざ年譜を作って簡単に尾崎の事を書いてみても86年はその数行の言葉で足りてしまうくらいに尾崎 「個人」としての活動…
3日はばあちゃんの家に行ったり叔父さんに会う1日になりそう まったりしてこよう
蟹になりたーい 蟹になりたいね というのは鎌田さんの名言だけど 知り合いから年末に蟹2杯を頂いたので なんか寒ブリとか食って豪華な年末を迎えることができたけど なんだかんだでもう年明けだね 今年は社会人デビューやけどがんばろう 蟹ありがとうー
福岡国際センターでのライブで尾崎がこれまで11月から行ってきた、ツアーは終りを迎えた。 元旦でのライブを終えるとその打ち上げでは、総じての慰労会ともなった。 尾崎は翌日の飛行機で都内へと帰り。 これまでにあった肉体的、精神的な疲れをいやすた…
あけましておめでとうございます。 今年もどうぞよろしくです
1986年 1月1日 福岡国際センター 最後に挨拶をすると観客達からは賞賛そして、「ありがとうー!」という声が届く中 「頼む!もう1曲歌ってくれ!!」 という声の中ローディーが12弦ギターを尾崎の元に持って駆け寄ってくる。 尾崎はピアニストの樫…
1986年 1月1日 福岡国際センター 曲が終ると尾崎はギターをローディ-に渡してメンバーを一列にして、頭を下げてから喋り出す。 「今夜は本当にどうもありがとう、今夜の俺たちをこんなに暖かく受け止めてくれたことをメンバースタッフ一同、本当に感…
1986年 1月1日 福岡国際センター 尾崎コールに応えると先にメンバーたちがステージへと戻っていく。 演奏はすぐに始まり、それと同時に尾崎はステージ中央で歌い出す、衣装も先ほどのジャケットは脱ぎ捨て、Tシャツとジーンズといういつものシンプル…
1986年 1月1日 福岡国際センター 午前中から会場に入っていた尾崎はリハーサルを始める。 開場時間は元旦ということもあり、早めの午後3時30分からであり、開演時間は午後4時30分であった。 リハーサルを終えると楽屋で煙草を吹かしながらメンバ…