matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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尾崎豊の軌跡を追う 二十代編

銃声の証明

1990年 3月 一生を決めるものが何なのかなんて、人には分からない。留置場で出会った少年ヤクザは散弾銃を散弾銃を抱えて敵の組に殴り込んで捕まった。 罪だと知りながらも会社の命令で裏金をさばいて捕まった奴もいる。環境が人の運命を決める。 やむにやま…

風の迷路

1990年 3月 教会の階段に腰掛けて人波を見つめていました。流れゆく白い雲。眩しい光。たった一人 の私のために生まれては消えてゆくものがあるんだという気がします。悲しみは喜びの糧 なのでしょう。祈りの言葉に明日が見えるわけじゃないから、今日という…

COLD JAIL NIGHT

1990年 3月 薄暗くじめついた牢獄。俺はそこで二ヶ月も過ごすはめになった。 自分の不運を嘆いているわけじゃないが、何故あそこはあんなにも寂しい所なのだろう。 水や食料もしけたものだったが、天からの恵みであるはずの太陽の光すらもわずかにしか与えら…

FIRE

1990年 3月 風が吠えている。凍てついた街のネオンをすり抜け、俺はエンジンをふかし向かい風に突き進む。 風が吠えている。体がワイルドに震えている。 クレイジーな夜の流星のようだ。 サーベルは全てのものを突き刺す。俺の革のジャンパーは安物だが暖か…

レガリテート

1990年 3月 固体から流れ出す三つのメロディー。 暗黙の中に渦巻く小さな光の粒はまるで僕のようだ。 それは欲望なのか。君を失いたくはないんだ。 僕は強く祈り続けた。あてもない夢に彷徨い、激しい嵐の中に答えを求めると、愛が呟く。 平和がいつも足りな…

きっと忘れない

1990年 3月 街の流れを見つめていると僕の心も少しずつ街に慣れてゆくようだ。時の流れにとり残されて暮らした今までの日々はとても辛いものだった。 とても個人的なことなんだけれど、僕は誕生日をあまり祝ってはもらえなくてね。 だから誕生日なんてたいし…

音のない部屋

1990 3月 君と初めて出会った時のこと。君は不思議そうに僕を見つめていた。 まるで夜空を見つめる瞳のように・・・・・。僕はその瞳の奥に君の幻を抱きしめていた。 君が通り過ぎてきた日々の一つ一つを包んであげられるかな。 僕らは一晩中言葉も交わさず…

禁猟区

1990年 3月 ジャンキーの皆さんよ。 よく聞いてくれ。 あんたははみ出している。とてつもないクレイジーさだぜ。 快楽と現実からの逃避。どちらでもいいがそれは孤独なシステムなのさ。 お蔭で俺の友達は精神病院に送られちまった。 ベッドに縛りつけられな…

1990年 3月 雨に濡れた街並みを見つめながら僕は君を待っているんだ。 ねぇ、この冷たい雨に濡れて閉ざされた僕の心を開いておくれ。 雨はなんて冷たいものなんだろう。街はなんて寂しいものなんだろう。 君を思う心だけが温かい。上手く嘘なんかつけなくた…

COOKIE

1990年 3月 仕事を抱えて街を歩く。 下世話な広告から飛び出してきたような日常への憧れが、街中に散乱している。 何を気取っているんだい。 生きてゆくために必要なものの何を持っているというんだい。 マスコミは人の心をもてあそぶようなことを報道して喜…

置き去りの愛

1990年 3月 帰り道は寂しい。 すべてのものが夕暮れの影の中に揺れている。 目に見えるものすべてに僕は感じるものがあった。 そんな気持ちを言葉にして君に伝えたかった・・・。思い出はアスファルトの亀裂に染み込んでしまったままだ。 君はそんな僕の思い…

LONELY ROSE

1990年 3月 君の囁くようなファルセットボイスが流れている。 涙は輝き。君を見つめていると虚しい笑顔に吸い込まれてしまいそうだ。 約束さえ確かじゃないけれど、今夜また君に会えるだろ。 小さな嘘なら胸の奥に山ほどあるよね。でもいいのさ・・・・・。…

ロザーナ

1990年 3月 離れ離れになったけれどいつかまた会えるさ。二人の始まりはもう遠い昔のこと。心の傷みすら打ち明けられないまま過ごした日々もあった。 でも、ハドソン河の辺りで夢を打ち明け合った時のことを覚えているかい。 君の好きなベースボール・チーム…

黄昏行く街で

1990年 3月 無口な小鳥。小さな光。五十七番街。街角の大道芸人達は思い思いのフレーズに涙をこぼす。 小さな空がビルの合間に見える。散歩する恋人達。青空の下ではしゃぐ子供達。 ローラースケートを履いて踊る若者達。その中の一人がコメディアンの誰かに…

LOVE WAY

1990年 3月 自然の摂理に身を委ねる。目に見えない怯えや説明のつかないものに対して、人は常に戸惑いを持っている。 歩みは安らぎを禁じる。こわばった心は凍り付いている。 心は盲目であり、また何も聞こえなかった。閉ざされた心は卑しめられ鞭打たれてい…

KISS

1990年 3月 「KISS」という曲がある、1989年の時点で草稿のようなものを書いていたが、尾崎自身も自分の仕事を「労働」として自覚していただろうが同時に生きるための音楽であったことから「音楽」は生業であり、必要なものであったろう。 「KISS」に関して…

選曲

1990年 3月 デモテープから選曲する以前に、アルバムのテーマというものを決めることが先かとも思われた。 再び尾崎豊としての再生を意味する復帰、復活には「誕生」というコンセプトを思いついたのは後であったろうか? 後に「永遠の胸」と「誕生」どちらに…

40曲

1990年 3月 尾崎が用意していた楽曲は40曲・・そこから選び抜いたものが次のアルバムに収録される。 アルバムというものにはテーマが後に用意されて重要になってくるタイトルに関しても以前から決めていたものがすぐに採用されるかはわからない、商品である…

ミーティング

1990年 3月 病床の須藤氏を訪ねてから数ヶ月が過ぎていた、体調は本調子ではなかったが須藤氏も仕事には復帰していた。 彼は尾崎だけを抱えているわけではないほかにも担当しているミュージシャンはいたが尾崎も彼がこの時は頼りの人間であったのだろう、5th…

楽曲たち

1990年 3月 尾崎がこの頃自宅で作成していたデモテープは多くあった。 彼はソロシンガーが1人孤独に作曲をして詩を練る、大切なのは詩とメロディーであったようで家にくすぶって曲ができるとう人ではなく、よく外に出ていたようだ。 社会人になってからのア…

録音の件

1990年 3月 録音する場所が日本になったことを尾崎はどう思ったろうか? 気分はNYで作品を作る気になっていただろうし、難しいところだ。 東京のスタジオを借りて海外のミュージシャンを呼び寄せて作品を作るということはまた前例がなかったことかもしれない…

東京で

1990年 3月 尾崎が諸々の事情で出国できないことがわかったので、レコーディングは東京にミュージシャンを呼び寄せて行うことにした。 ミュージシャン、エンジニアを含めた10人にもなる外国人を呼ぶよりは少数スタッフと尾崎を現地に行かせ録音すればよい話…

川添象郎

1990年 3月 準備の際に1人の男が制作に加わっている。 川添象郎氏である、企画製作会社シロプラニングの経営者でアメリカ音楽業界との仕事関係では密接な関係をもっていた川添氏は今回の尾崎が海外でのレコーディングをするという話にバックにアメリカのミュ…

執行猶予

1990年 2月 レコーディングの準備となったときに案として出たのは海外レコーディングで、これまでとは違う尾崎のレコードを出すためにもプレイヤーを一新した作品にするような動きがあった。 しかしここで出てきたのは尾崎の前科であり執行猶期間が切れてい…

思い出話

1990年 2月 須藤氏と久々に会った尾崎は宣伝用の写真を撮った話などをした。 それから夏頃にお子なるレコーディングの草案の話をしていると、以前海外でレコーディングを行うという話をNY滞在中の尾崎を交えてしたことがあったが、尾崎のレコード会社移籍に…

須藤さんと

1990年 2月 活動再開を目指した頃、ディレクターの須藤氏はまだ体調が著しくなく、入退院を繰り返していたが、その中でも尾崎をレコード会社ソニーへと復帰させる工作や、新たな事務所ロード&スカイへの橋渡しも行っていた。 尾崎は須藤氏の体調が回復する…

再び横に

1990年 2月 当日は寒かった・・5年ほど前に2ndアルバム「回帰線」のジャケット撮影の際には極寒の中肌着一枚で撮影を行ったこともあった。 その日の尾崎はジャケットを羽織って髪を昔のように分けていた・・ 24歳になった尾崎は昔と変わっているはずなのにど…

前日

1990年 2月 トレーニングが一段落した頃、撮影の旨と説明が行われた。 撮影するのはデビュー当時からの関係である田島氏で、プロモーション用の撮影ということであった。 まだレコーディングも始まってはいないが、宣伝用の写真を先に撮っておく・・ 久々に…

トレーニング

1990年 2月 体重は順調に落ちていった・・ 食事に制限をかけていたのかは定かではないがこなしていたメニューはハードなものであった。 十代の頃とは違いスタミナも落ちていたが少しずつスタミナも取り戻してきた頃には無駄な肉が削げ落ちていった・・減量と…

小説

1990年 2月 話は小説のこと、尾崎は自分の創作ノートの中に「幻の少年」という小説の草案を書いていたことがある。 見城の薦めで月刊カドカワで小説の連載をしないかと、言われたのはこの頃であろう。 音楽活動以外に自分の思いを発信していくことは取材以外…