matagorou’s blog 尾崎豊 自由に生きられるかそして感動を得られるか

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2013-06-01から1ヶ月間の記事一覧

4年

おかんが亡くなって4年が経った 思えば早いものだった。 あの日はとても晴れていた。 亡くなったのは11日の夜だった。 それも11日のギリギリのような時間。 病室外の談話室っぽいとこで泣いてる間に時間は過ぎて日付は12日になっていた。 あの時はこ…

バンド

1987年 5月中旬 ツアーの話が続く。 ツアーバンドには十代の時と同じようにハートオブクラクションがバックバンドを務める。 ギターの江口氏、サックスの阿部氏、そしてピアノの樫原氏をバンドマスターにして新たにバンド編成を行い、新しいハートオブ…

引き合わせ

運命とか引き合わせとかそんなことは信じないタチなんだけど 偶然なのか?おかんが亡くなって明日で4年経つのだけど俺は今日から5日間だけ、末期がん患者の緩和ケアを行う部署に行くことになっていて今日その初日を終えたとこ 話は聞いていたが、末期がん…

ステーキ

夏が近いよね 夏バテ対策に肉なんてどうよーみたいな感じで昨日は肉を食った 思い返すと昨日は昼に牛丼食った気がするのだけど、夜も肉だったりしたのよね 昨日から金曜まで連勤だし バテないように脂っこいもん食うのは悪くないかな 負けないようにしていけ…

TREES LINING A STREET

1987年 5月 以前出ていたツアーの話がまとまってきた。 ツアータイトルは「TREES LINING A STREET 」 7月1日に始まり、本数は50本!翌年まで続くコンサートツアーでありツアー中には大きな会場でのライブやイベント出演を含めて以前よりも増して大…

ドーナツ

酒がきれたので一昨日仕事の帰りに買い物してるとなんか安売りしてるやんw ということで買ってきたのがドーナツ 本当はチュロの写真撮りたかったのだけど妹に食われてしまったw ドーナツといえば尾崎じゃなくて洋画の見すぎかわからんけどデブがドーナツ食う…

ロックの日らしい

6月9日だからロックの日らしい いや知り合いに言われて気づいたのだけど、言われてみればそうだよねw ロックンロールは好きだけど、ロックな生き方はできないよねw というかロックンローラーじゃなかったわw

街角の風の中

1987年 5月 「街角の風の中」という曲の録音が始まった。 同じ時期に録った「核」とはまた違った曲調の曲だ。 後々にシングルカットされた際にも「核」とのギャップを指摘されて間の抜けたような・・・ といわれてしまうが決してそんなことはないであろ…

ぶっちゃけた話

この仕事をしていると俺だけではない他職種というやつらが多い リハビリだったら医者だったり看護士、直接関係はないけど話をするやつに助産師や薬剤師なんかもいる。 入社僅かでこんなにいろんなやつらと話をするのもおかしいように思うけど、別の職種と話…

6月

暑い日が続くようにも思う 6月なんだよね 梅雨入りとテレビで言う割にはそこまで雨が降らないように思う いつも晴れて、朝と夕方は過ごしやすい。 涼しい風が流れてくるからね 7月以降からが真夏だろうね、がんばろう

核のこと

1987年 5月 話はレコーディングに戻る。 「なにか話をしよう、なんだかわからないけど」 こんなフレーズで始まる曲があった。 最初は「クッキー」という仮題であった、後に「反核」という名前で十代初期のライブで演奏されたがいつしかからかこの曲は彼らに…

日本武道館

1987年 5月 「武道館でコンサートをやりたい」 と尾崎がこの時期に言ったのかどうかは定かではない。 しかしこの時代のミュージシャンのあらゆる到達点として日本武道館というステージがあった。 ライブハウスからホールコンサート、そして武道館という流れ…

1985年 3月

2ndアルバム回帰線が発売された。 前より売れればいいかなという思いが尾崎にはあったというがその予想を反してオリコンで1位を獲得した。 売れることということを彼に感じさせる最初のきっかけはこの1位であったかもしれない。 NO1ということがわかったの…

ボーカル録り

1987年 4月下旬 フルオーケストラによる演奏によって「街路樹」は完成に近づいていた。 あとは重要な尾崎のボーカルが問題である。 ノートから引きちぎった紙片たちには彼が搾り出した断片たちが書きなぐられている。 「街路樹」もそんな作業の中から生…

カレーパン

毎週火曜日はばあちゃんがくる日 今日はパン買ってきてくれたのでいただくことに カレーパンっていいよね カレーを手軽にくえるというのかなんというのか考えたやつはすごいわー とたまに思う 揚げてあるのやけどまあ脂っこいのでちょいと胃にもたれるような…

1985 NYまとめ OZAKI NY STORY 1985

渡米のこと ツアーが終って1ヶ月のオフがあった。 尾崎はそのオフをかねてから計画していたNYで過ごした。 NYで過ごしてる頃にはレコーディングを終えたばかりの2ndアルバム「回帰線」のトラックダウンが終った頃であったような記憶がある。 NY1 NY2…

ふえー

今日は休みだった 休みの日はなにか夜更かしをするか好きなことを前夜している。 だから目覚めるのが遅いんだ いつも9時か10時には目が覚めてしまう。 だけど最近何時に寝ても7時から8時の間には目が覚めるなんてことが多い。 生活リズム以前に体はどれ…

1985年 12月~1986、1月 まとめ

20歳の取材 MCのこと ツアーの話 福岡国際のこと 奈良 舞鶴 肉 テレビに 大分 初めての地 久留米 小倉 アルバムを聞いてから ツアーの名前 平市民会館 予定 山形 新庄 郡山 松本 新潟 会館の中 楽屋外 リハーサル 思い 新潟 倒れる 復活 この1年 福岡へ …

ファーストツアー 1985 1月~2月最終 他まとめ

ツアー85年1月~2月 高松オリーブホールから年明けのツアーは始まり 松山市民会館 高知グリーンホール と続いて、四国をまわる。 1月12日、延期されていた 日本青年館 での単独公演は成功する。昨年のルイードから数えれば休止期間を除いて実働半年足らず…

オケ

1987年 4月22日「街路樹」をフルオーケストラで完成させることはソラチの活躍により決定したが、フルオケのスコア書きは主に樫原氏が行った。樫原氏の回想によればこの「街路樹」での制作で初めてフルオケを体験したと書かれているが当時付き合っていた女性…

何もかもが違う

1987年 4月中旬 曲である「街路樹」のトラックを完成させるのには時間がかかった。 スタッフたちとの会議で聞いてから尾崎は何度も詞を書き直したりしていた。 バンドスタイルで歌入れを行ったが尾崎は妥協を許さずにこの曲を完成形にさせるために模索…

1984年 ファーストツアー 12月

ツアー12月 秋田へ いく。 初日は 秋田市文化会館 であり翌日は 新庄へ いく。 新庄市民文化会館 その次の日は仙台へ 仙台市民会館 で東北でのまとめは終っていく。 島根県民会館 に時間を空けてきていた。 岡山市民文化ホール ではアクシデントがあったが…

1984年 骨折以後

はじまりさえ歌えない(シングル というシングルを出したのはやはり尾崎を世間に忘れさせないための工夫であったのだろう。 代官山 でのカットはまだ松葉杖をもっているがこの時期の療養が長かったことがうかがえる。 ツアーについて そしてツアーのこと骨折…

街路樹

1987年 4月 尾崎が作ったデモテープを聞いてスタッフ達が意見を出合う。 メロディーだけの曲が続いたり、彼が叫ぶような歌もある。 しかし最後に流された、しっかりと詞が入っている曲があり尾崎はその曲を「街路樹」と名付けていた。 アルバムのタイト…

デモたちはどこにいったのか

尾崎はデビュー前からギターの弾き語りなんかでデモを作っては、須藤さんとこに持っていっては意見を求めたり、アドバイスをもらったという。 「十七歳の地図」のレコーディングを始めた時にもスタジオテイクで何度か録ったが詞が大きく変わったものがあった…

会議

1987年 4月 尾崎は久しぶりにレコーディングスタジオにはいっていた。 NYに撮影に行って以来であった。 ある日スタジオに事務所の社長福田氏がきており、そこにソラチもいる。 そしてプロデュースを任されている吉野氏とエンジニアの坂元達也氏。 余談…